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  4. トラウマと多重迷走神経理論(ポリヴェーガル理論):神経系から読み解く心の傷

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私たちの身体は、ストレスを感じると通常、交感神経が活性化し、心拍数や血圧が上昇するなどの「興奮状態」に入ります。これは、いわゆる「闘争・逃走反応(fight or flight)」と呼ばれる生理的な防衛反応です。
しかし、**大うつ病(特にメランコリー型)**のような重度のうつ状態では、強いストレスを受けたにもかかわらず、身体はまるで「シャットダウン」したかのように反応します。具体的には、強い倦怠感、眠気、解離、慢性的な疲労感といった、副交感神経優位の症状が現れるのです。
(※日本では「うつ病は交感神経優位で起こる」「うつ病になると眠れなくなる」とよく言われますが、これは間違った考えかたです)

この現象は、従来の「交感神経と副交感神経の二項対立モデル」では説明が困難でした。そこで、この矛盾を解き明かす鍵となったのが、**1996年に神経科学者ステファン・ポージェス博士が提唱した「ポリヴェーガル理論(Polyvagal Theory)」**です。

1.ポリヴェーガル理論とは

「Polyvagal(ポリヴェーガル)」とは、「多くの(poly)」と「迷走神経(vagal)」を組み合わせた造語であり、ポージェス博士が提唱した新しい自律神経系の理解モデルです。

従来、自律神経系は「交感神経」と「副交感神経」の2系統で構成され、環境の変化に応じて身体の状態を調整する恒常性(ホメオスタシス)システムとされてきました。
これに対し、ポリヴェーガル理論の核心は、迷走神経(vagus nerve)という副交感神経の一部が、進化的に異なる二つの枝を持ち、それぞれが異なる防衛反応を担っているという点にあります。
ポリヴェーガル理論では、自律神経系の反応を以下の三つに分類します。
この三層構造は、私たちが状況に応じて「安全 → 警戒 → 凍結」と階層的に反応する仕組みを説明します。
※腹側迷走神経系が一般的にリラックスなどもたらすといわれる神経系です。

神経系序状態反応進化的順
腹側迷走神経系(ventral vagus)安全・社会的関与・社会的交流・共感・安心落ち着き・共感・つながり最も新しい
交感神経系(sympathetic)闘争・逃走
(トラウマ反応)
不安・怒り・過覚醒パニック中程度
闘争・逃走
背側迷走神経系(dorsal vagus)凍結・解離・フリーズ
(トラウマ反応)
無力感・離人・大うつ病最も古い

    2.トラウマと自律神経の関係

    トラウマとは、圧倒的なストレスや脅威にさらされた結果、心身がその体験を処理しきれずに「凍結」や「過覚醒」の状態に固定されてしまうことです。ポリヴェーガル理論では、トラウマによって自律神経系の調整能力が損なわれ、以下のような反応が慢性的に続くと考えられています。

      • 安全な状況でも交感神経が過剰に働き、常に緊張・不安を感じる
      • 背側迷走神経が優位になり、無気力・解離・うつ状態に陥る
      • 腹側迷走神経が活性化できず、他者とのつながりを感じられない

      このような状態では、本人が「頭では安全だと分かっている」のに「身体が危険を感じている」という乖離が生じます。これが、トラウマの核心的な苦しみです。

      3.トラウマ反応の三つのモード

      トラウマチックな症状は、受けるショックが強いほど、
      「社交友好モード」→「闘争・逃走」→「固まり・麻痺」
      といった流れに症状が重症化進展していきます。

      ①社会友好モード(腹側瞑想神経優位)
      ・表情豊か、柔らかな声
      ・他者とのつながり、安心感
      ・遊び、学び、創造性

      ②闘争・逃走(交感神経優位)
      ・心拍数の上昇、筋緊張、過呼吸
      ・怒り、焦り、過敏な注意、不眠傾向
      ・パニック、攻撃的行動

      ③凍結・解離(背側迷走神経優位)
      ・無気力、身体感覚の喪失
      ・離人症、現実感の喪失
      ・抑うつ、うつ病、過眠傾向

          トラウマによって、②や③に固定されてしまうと、①の状態に戻ることが困難になります。
          これが、対人関係や日常生活に支障をきたす原因となります。

          4.回復への道は腹側迷走神経の再活性化にある

          ポリヴェーガル理論に基づくトラウマケアでは、「腹側迷走神経系」を再活性化することが中心となります。これは、身体が「安全だ」と感じることでのみ可能です。

            以下はそのための実践的な方法です。
            ・柔らかい照明、安心できる空間
            ・心地よい音(1/fゆらぎ音声 クラシック音楽など)
            ・穏やかな姿勢・声・表情
            ・会的つながりの促進
            ・信頼できる人との対話
            ・グラウンディング(足裏や重力の感覚)
            ・呼吸法(腹式呼吸、4-7-8呼吸など)
            ・絵を描く、音楽を奏でる、詩を書く
            ・森や海など自然の中で過ごす
            ・瞑想、催眠療法など
            これらの活動は、神経系に「安全である」という信号を送り、腹側迷走神経を活性化させることで、
            トラウマ反応からの回復を促します。

            まとめ

            ポリヴェーガル理論は、トラウマやうつ病、解離性障害といった心身の不調を、神経生理学的な視点から理解し直すための強力なフレームワークです。従来の「交感神経 vs 副交感神経」という単純な二項対立では捉えきれなかった症状の背景に、3つの神経系の階層的な防衛戦略があることを示しました。

            この理論は、心理療法、ボディワーク、ヒーリング、教育、福祉など多くの分野に応用されており、「安全」「つながり」「自己調整」の回復を支える実践的な知恵として、今後ますます注目されていくことでしょう。

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